福井氏のコラム読んだ後に気づいたんだけど、「逆襲のギガンティス」はコラムに書かれている歴史の「if」を表現してしまった作品なのかもしれない。作者の長谷川氏もイデオンの呪縛から逃れようとしたのか??初めて「ギガンティス」を読んだ時の違和感はひょっとしたらこのあたりにあったのかもしれないなぁ。
しかし、コラムに書いてたようなイデオンの影響ってあるのかなぁ。と感じるのはたぶんリアルタイムで発動編を見なかったからなんだろうな。(当時は映画がある事を知らなかった…)後に初めて発動編を見た時はすでにソノラマ文庫版を読んでいたので多少は免疫が出来ていたのかも。
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